『西部戦線異状なし』を読んだ、観た

この書は訴えでもなければ、告白でもないつもりだ。

ただ砲弾は逃れても、なお戦争によって破壊された、ある時代を報告する試みに過ぎないだろう。

『西部戦線異状なし』っていう、第一次世界大戦を描いた小説を読んだ。

これがまあなかなか凄まじい作品で、とにかくひたすらに戦争が描かれとる。

戦争について描いた作品だから当然っちゃ当然のことなんだけど、これがほかの戦争を描いた作品と違うところは、特に見せ場らしい見せ場もなく、淡々と普段の戦場が描かれてるところだと思う。

というよりは、あるいは全部が全部、見せ場だったのかもしれない。

ところで一番上の引用文は、小説の一番最初に書いてあった、いわゆる前書きみたいなものなんだけど、これが実に見事にこの作品の様子を表現している。

主人公ボイメルとその仲間達が戦争に巻き込まれ、心身共に破壊されていく様子が淡々と描かれている。

僕らはもう戦争のおかげで何をやろうとしても駄目にされちゃったんだね

ボイメルの仲間の1人であるクロップのこんな言葉に代表されるように、戦争によってボイメル達がいかに壊されていくかが描かれている。

そんな描写の中で一番印象的だったのは、ボイメルが休暇を得て故郷に帰る場面。

戦場にいるときには一刻も早く故郷に帰りたいと思っていたのに、いざ帰って家族に会ってみると帰ってくるんじゃなかったと後悔する。

僕は枕に噛み入った。僕の拳は寝台の鉄の棒を摑んで痙攣するように震えた。僕はこうして帰ってくるんではなかった。今まで僕は戦場にいて、まったく呑気な人間であり、希望というものをなくしたことさえ、たびたびあった。・・・それがこれからは、もうそうしてはいられなくなるだろう。僕は兵隊であった。それが今は自分と母と、それから一切の、諦めきれない、果てもない、あらゆるもののために苦悶する心に、僕は変わってしまったのだ。僕は決して休暇をもらってくるんではなかった。

ここに何とも言えない虚しさを感じた。

この他にも、故郷の人々とボイメルがもうまったく違った人間になってしまっているという描写がたびたびあり、もうボイメルは戦争で変わってしまったのだなあ、と思わざるを得なかった。

それとこの作品には、100年以上前の当時と現代とで変わらない、何て言うのかな、人間の本質みたいなものも描かれていた。

特に、カチンスキーという人物が権力について言い放ったこの言葉は、まさにその通りだと思う。

見てみろ、いいか、もし貴様が犬を馬鈴薯ばかり食うように馴らしておいて、そこであとで肉を一片やってみろ。やっぱり犬はその肉に喰いつくぞ、これは犬というものの性質にあるんだ。もし貴様が人間に権力というものをやってみろ。やっぱり犬と同じこった。人間はそいつに喰いつくぞ。それだってみんな自然にそうなんだ。人間というやつは、初めっから、畜生なんだ。それに豚の脂を塗ったパンみたいに、少しばかり上品なところを塗りつけたものだ。

これは彼らの上官ヒムメルストースが、かつて郵便配達員だったころはおとなしかったのに、軍に入って彼らの上官になった途端に威張り散らかしてきたことについて言ったものなのだけれど、これは確かに今も変わらんと思える。

似たようなことが、職場でもよくある。

職場の上司や先輩だって家に帰ったら良き父親、良き夫、良き母親、良き妻なのかもしれんが、職場に来た途端、上司や先輩だからって威張り散らかしやがる奴がおる。

ちょっとのことで、まるで気が違わんくらいに怒ってきやがる。

そのくせ、自分より上の連中には決してそんなことをせん。

また、この言葉も人間というものについてなかなかうまく言い当ててると思う。

そりゃあ、こちとらの班長ばかりじゃねえよ、みんなそうなんだ。金筋くっつけやがったり、サーベルぶら下げたりしやがると、まるで人間が違っちゃうんだ。まるでコンクリートでも食ってきたって顔つきしやがる。

今は金筋やサーベルの代わりに、役職とか勤続年数とかを引っさげた連中が、まるでコンクリートでも食ってきたって顔つきをしとるので、結局、そういうところは今も昔も変わらんのだと思う。

人間の本質なんてのは、こういうところに転がってるのかもしれんね。

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最後に、この作品のタイトル「西部戦線異状なし」について、これがなかなか戦争の不条理を表現してると思ったのでそれについて書こうと思う。

銃弾で人が死に、砲弾で人が死に、毒ガスで人が死ぬ。

そんな状態にあっても、全体として落ち着いていればひとりひとりの死などまるで顧みられることがない。

戦場の遠くにおるお偉方にとっては、人の死なんてただの数字に過ぎない、そんな様子がこの「西部戦線異状なし」に表れてる。

戦場にいる個人からしたらそれは大切な仲間の死でも、そういったお偉方にとってはただの数字に過ぎない、そういった考え方の違いがはっきりと表れてる言葉だと思う。

ボイメルの帰郷の場面でも、どこかの重役が戦争について意気揚々と語っていたけれど、結局のところ、そういった風に熱狂するのは、戦場ではないどこかにおる人間なんだろうね。

周囲がやいのやいの言ってる間に、当の本人達は訳の分からんままに気づけば戦争しとる。

「だがおれは、戦争なんてものは、むしろ一種の熱病だと思うよ」とクロップが言った。「誰も戦争をしたいって奴はいねえ。それに急にぽっかり戦争になっちまうじゃねえか。おれたちは戦争なんて、ちっともやりてえと思っちゃいなかったんだ。ほかの奴らだってみんな同じことを言ってる・・・それにどうだ、こうして世界の半分が、夢中になってかかっているじゃねえか」

もうなんかわけのわからんめちゃめちゃな感じがするけど、実際そうなんだろうね。

とにかく、非常に凄まじい1冊だった。

ちなみに映画も観たけど、小説と多少の差異はあれど、映画の方もなかなか混沌としてて悲惨だった。

特に、塹壕戦ってのは物凄いね、最終的には敵の塹壕に突っ込んでスコップやら銃やら、挙句の果てには拳で殴りあってる。

あれを見て、この世の暴力を一気に放り込んだって感じがしたね。

この物凄さは映像で見ないとわからんかったわ。

文字だけじゃ伝えきれないものがあった。

そんな感じで、この『西部戦線異状なし』というものは想像以上に衝撃的な作品だった。

レマルク (著), 秦 豊吉 (翻訳)